【ご讃題】
勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。
「道徳はいくつになるぞ 道徳、念仏もうさるべし」 『蓮如上人御一代記聞書』第一条
これは、明応2(1493)年の元旦に、蓮如上人が京都は勧修寺村の道徳というお弟子さんに言われたお言葉です。
元旦に、新年の挨拶を申し上げようと蓮如上人の元を訪れた道徳に、
「道徳は今年(今日)で何歳になるのか。道徳よ、お念仏を申してください」と言葉をかけられたのでした。
【年始の挨拶】
「明けまして、おめでとうございます」
これが一般的な年始の挨拶です。
数え年であった時代、お正月で一つ歳を重ねることができたという思いで「おめでとう」といいました。
今の「誕生日おめでとう」に近い感覚でしょうか。
また、今より医療も薬もままならず、飢饉や疫病や戦によって、長寿が希であった時代。 厳しい一年をまた生き抜くことができたという思いで「おめでとう」と言ったといいます。
しかし、新年を迎えたから、現代は長寿社会だからといって、いつでも今にもたった一度の病気や事故や災害などであっという間に命を終えていかねばならない私の現実は変わりません。
【一休禅師】
蓮如上人と親交の深かった、一休禅師はお正月に
「門松は 冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもし」と詠まれたといいます。
また、正月らしいめでたいことを書いてほしいと頼まれた際に書かれたとされる言葉が、
「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」であったそうです。
正月早々めでたいことが「死ぬ」とはと、頼まれた方は怒りだしたそうですが、
一休禅師が書かれたこの死の順番こそめでたいではないかというのは、裏を返せば私たちの現実はこの順番通りでは決してないないということです。
【明応二年】
さて、この明応2年といえば、蓮如上人が79歳、道徳は74歳で、当時ではかなり高齢でありました。
また、約6年にわたってウイルス性の疫病「天然痘」が猛威をふるった直後にあたり、御文章四帖目第九通「疫病章」を著された1年~2年後にあたります。
天然痘との因果関係は不明ですが、蓮如上人は、その間に二人のお子様に先立たれ、合わせて七人のお子様を見送っておられました。
ご法事などで拝読する有名な御文章「白骨章」は、天然痘が流行している最中の75歳に著されたのではないかというのが有力な説となっています。
「白骨章」の最期には「されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかひなれば、誰のひとも早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏と深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」と結ばれています。
そうすると、この疫病後の正月をいったいどれほどの人が正月を迎え、歳を重ねたことを素直に喜ぶことができたのでしょうか。
もちろん、生きながらえることが難しいなかで新年を迎えられた慶びがあった方もおられたでしょう。
しかし、多くの方は家族を失い、絶望のような気持ちで新年を迎えられたのではなかったのでしょうか。
ただ単に一年命を長らえたというだけでは、手放しで「新年明けましておめでとう」という気持ちにはとうていなれなかったと思います。
蓮如上人79歳のお正月は、そんな一年の幕開けだったのです。
いや、室町時代の都は、応仁の乱、鴨川の水がせき止められるほど遺体で埋まったという大飢饉、それに天然痘という疫病が続けざまに襲いかかっていたのです。
すると、正月だから「おめでとう」という世の気分は、しばらくあり得なかったとも考えられます。
【時代が違えども】
生まれた以上は必ず死に帰す。出会った以上は必ず別れがある。
そんなことは当たり前だと仰る方があるかもしれません。そんなことは聞かなくとも知っていると…
しかし、頭で理解しているということと、現実に自身の命が終わっていく、また大切な家族や友人の命が奪われていくということとでは大きなギャップがあるはずです。
死は、過去の時代の話でも、新聞やテレビで流れてくるニュースの話でもありません。
他人の死ではないのです。私の死。私の大切な人の死という大問題であり、誰にも代わることができない現実の大きな悲しみと苦しみなのです。
そして、そのような現実を生きていることを本当にわが身に知らされるのは、お正月であろうといつであろうと待ったなしです。
昨年の大晦日、今年の元旦とご門徒の訃報が届き、臨終のお勤めに向かいました。
お正月の葬儀は、これまでに何度もありました。
それでも、つい自分だけは「まだ大丈夫」とどこかで思いがちで、なんとも愚かしいことです。
【阿弥陀様がご一緒です】
そんな私を「必ず救う」為に、阿弥陀様は五劫のあいだ悩み考え、一つの結論に達せられたのです。
それは、いつでも、どこでも、誰のうえにも自ら立ち上がって至り届いて、ずっと一緒にいよう。
逃げられても背かれても常に「我にまかせよ、必ず救う」と喚び続けて抱き取る仏と成ろうということでした。
いつでもとは、「今」を離れて阿弥陀様の存在はないということで、
どこでもということは、「ここ」を離れて阿弥陀様の存在はないということで、
誰のうえにでもということは、「私」を離れて阿弥陀様の存在はないということです。
その阿弥陀様がご一緒くださるすがたが、私が称え私が聞く「なもあみだぶつ」のお念仏なのです。
蓮如上人は、そのことを「道徳いくつになるぞ。道徳念仏申さるべし」
つまり、「啓生(住職の法名)いくつになるぞ。啓生念仏申さるべし」と教えてくださったのでした。
浄土真宗のお念仏は、称えるから救われるのではありません。
また、称えないから救われないのでもありません。
もうすでに「我にまかせよ、必ず救う」と届いてくださってある阿弥陀様の喚び声を、そのおいわれ、その意味を、自ら称えるお念仏に聞くのです。
「なんまんだぶ」は阿弥陀様が常にご一緒くださる姿であり、証拠なのです。
独りではなかったのですね。死んで終わってゆくのでもなかったですね。
お念仏の一声一声に、私自身や、大切な先立たれた方々の命の往く先を想います。
そして、今ここに阿弥陀様が「必ず」とご一緒くださる命であることを知らされていきます。
ここに、本当に「おめでとう」と慶べる、お念仏と共に始まる浄土真宗の、私たちの新な一年があるのです。
(おわり)