【お彼岸】
お彼岸の季節です。彼岸たる阿弥陀様のお浄土は清浄なこの上ないお覚りの世界で、此岸たる娑婆世界は煩悩に満ち、自他共に傷つけ、出会いと別れを繰り返す悲しみの世界です。
その大きな隔たりを阿弥陀様の方から超えて、初めから「南無阿弥陀仏(我にまかせよ必ず救う)」の声となり、今、ここ、私にご一緒下さいます。
阿弥陀様のお救いは、死んでからでも、死ぬ間際でもありません。
なぜなら、たった一度の災害や事故や病気などで命を終えていかねばならいのはいつだって今だからです。
それに、老病死の苦悩に涙するのも昨日でも明日でもなく今のことだからです。私と離れていては間に合わないのです。
【大悲の願船】
このお救いを親鸞聖人は船に譬えられます。
生死の苦海ほとりなし ひさひくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
娑婆を際限なき苦悩の海に譬え、過去世より永く沈んできた私たちを阿弥陀様のお救いの船だけが乗せて間違いなくお浄土に渡らせて下さると慶ばれます。
【船の命とは】
船の特性は沈む物を載せて運ぶことにあります。
お参り先の近くにある造船所では、海外を往復して物資を運ぶ大きなタンカーが造られています。
タンカーは外国に物資を取りに往くとき、積荷が何も無いと航行のバランスが取れないので、あえて大量の海水を注入して向かい、外国で排水をしてから荷物を載せて帰ってくるのだそうです。
そうすると、船は初めから荷物を載せて運ぶこと以外には設計されていないのであり、荷物を載せないと船の役割を果たせないのです。
見方を変えれば、船の存在の意味を成すのは載せて運ぶべき荷物でもあるわけです。
【安心の時】
さて、昨年百二歳でご往生なされたご門徒のクメさんは、命終えればお浄土の花嫁になると言って微笑まれるような方でした。
ある時、終戦を満州で迎え、日本に帰られるまでのご苦労を語ってくださいました。
暴力に怯え、騙されたり裏切られたりしながらも命がけで国境を越え、やっとの思いで港に着きました。
すると、日本から来た大きな引揚船が目に留まったのだそうです。
その船体には横断幕が張られ「お迎えに上がりました」と書かれてありました。
そしてタラップを渡り、その船に乗った時、船長のアナウンスが流れました。
「皆さん、大変お疲れ様でした。よくお戻りになられました。安心してください。ここは日本です。繰り返します。ここは日本です」と。
この声を聞いた時、クメさんは初めて不安と緊張から解放され、声をあげて泣くことができたのだとお話下さいました。
ここで、船は海外に在りながら「ここは日本です」とは、治外法権に似た「旗国主義」が適用されていたのでしょう。
この時、船はまだ外国に在りながらも、船の中は日本の法律が統べる領域なのです。
誰もこれを侵害することはできません。
初めからクメさんを乗せて必ず連れ帰るという日本国の願いと力によって動かされている船なのです。
これに乗ったという事実がクメさんの安心となり、慶びとなったのでした。
【本来沈む命をそのままに】
今、私たちも「南無阿弥陀仏(我にまかせよ必ず救う)」の声に安心し、阿弥陀様の船に乗せられて往きます。
まだ娑婆に在って、煩悩を抱えた命でありながらも、この船は阿弥陀様の法が統べる領域なのです。
乗る者に様々な違いがあれども、お浄土に生まれ仏様の命を賜ることに何一つとして役立つものも邪魔になるものもありません。
罪も煩悩も障りなく、男女、賢愚、老少、善悪等々を問わないというのが弥陀法です。
本来沈む命をそのままに、初めから「のせてかならずわたす」と涙くださる阿弥陀様の願いと力によって動かされている「大悲の願船」なのです。
【私の命とは】
ここに、私が何者であろうと決して除外されないお救いであることが知られます。
この船は、はじめから私たちを乗せて彼岸に渡らせ、仏とすることのほかに用事はないのです。
見方を変えれば、阿弥陀様の船の存在の意味を成すのは、乗せて渡らすべきこの命でもあったのでした。
抗えない様々な現実に泣いていかねばならない命が、はじめから目当とされた唯一絶対のお救いが、今、ここ、私の安心と慶びとなって届いているのです。
以上
本願寺新報 みんなの法話 20204年3月20日号掲載