【バカにならんか!】
これは当時、深川倫雄和上がゲンコツと共に下さったお言葉です。
私は、一般家庭から婿養子としてお寺に入りました。当時の私は、無意識のうちに社会経験など自分のものさしで仏様のお話を聞き、家族やご門徒とも接していたように思います。一般家庭からだと馬鹿にされてはいけない。早くご法義を慶べなくてはならない…。それは悪いことではないようですが、実は私の考えや思いが中心であって、周りが見えていないことでもありました。
【養子の心得】
そんなある日、和上を囲んでの懇親会がありました。ある先輩がお酒のすすんだ勢いで「お前も和上と同じ養子じゃないか。和上に養子の心得を聞きに行け」と仰いました。断ることもできず、お付き合いだからと仕方なくお酒を片手に「養子の心得」を聞きに行きました。
すると、その小賢しさを見抜かれたのでしょうか。和上は怒った顔で膝立ちになり、「バカにならんか!」と私の頭にゲンコツをお見舞い下さったのでした。大勢のお坊さんの前で、大人なって初めてゲンコツ付きで怒られた私は、恥ずかしさでいっぱいになりました。その言葉もゲンコツの意味も分からずにしばらく時間だけが経ちました。
【仏さまの方から】
そんな私を心配下さったある和上のお弟子さん(光国寺・稲田静真先生)が、その真意を知らせようとしてか何度も和上の勉強会に連れて下さいました。そこで和上が教えて下さったのは仏様側からのものの言い方です。たとえば「阿弥陀様は必ず救うの親様です」というのは仏様側からの言い方。
一方「私は、阿弥陀様は有難い仏様だと思っています」というのは私側からの言い方です。和上は「私が何をなすべきか」ではなく「阿弥陀様が何をなしたもうか」が大切ですともよく仰っておられました。つまり、自分の心ぶりに目をつけるのではなく、阿弥陀様のお助けぶりを大事にしておられた和上でした。
【聴聞のコツ】
私は、今も昔も「腹が立つ」「面白くない」などと、つい自分の心ぶりを問題にしてしまいます。その時周りにいてくれる人の心は見えません。見えているのは自分の心を通した人の心です。そうすると、自分の心の在り様で人の心も変わって見えます。そんな揺れ動く心に本当の安心や慶びはありません。
実は、和上は自分ではなく、周りにいてくれる家族や先輩方が私に何をして下さったかを大切にする努力を「バカにならんか!」の一言で教えて下さっていたのではなかったかと思います。なかなか難しいことですが、それが弥陀法聴聞のコツであり、養子の心得でもあったのです。
時が流れて、同じく和上を囲んだお酒の席でした。ほろ酔いだった私は和上に「阿弥陀様ではなく、連れ合いが好きでお坊さんになりました」と言ったことがあります。すると和上はとてもにこやかな顔で「こいつ!」とゲンコツを下さいました。その時のゲンコツはなぜかとても柔らかく、温かで、優しくありました。
<津村別院機関紙『御堂さん』「法語一献」 2018年6月号掲載>