凾蓋相応(かんがいそうおう) 衆生の機は凾(はこ)の如く、如来の本願は蓋(ふた)の如し
日渓法霖和上は、阿弥陀様のお救いは「凾蓋相応(かんがいそうおう)の要法」と言われます。
器(うつわ)を作るとき、蓋(ふた)に合わせて凾(はこ)を作るということはありません。
最初に凾(はこ)を作って、凾が四角ならば蓋(ふた)も四角、凾が六角ならば蓋も六角というように、凾に応じて蓋を作ります。
今、私は凾の如く、如来の本願は蓋の如しと譬えられます。
私という凾には、怒りの角や欲の溝があります。そして悲しみや寂しさで凸凹(でこぼこ)です。
しかし、その私の為にこそ本願の蓋は仕上がりました。
浄土真宗は、私が阿弥陀様に合わせるお救いではなく、阿弥陀様が私に合わせてくださるお救いです。阿弥陀様は、この凸凹の命の真只中に、はじめから「まかせよ、そのまま救う」とご一緒下さいます。
出拠 梅原眞隆和上編 『先哲語録』
<津村別院ホームページ 「法語を味わう」掲載>