【お釈迦様のお説教】
お経とは、お釈迦様が説かれた仏様に成る教え(仏教)です。ですから『仏説(ぶっせつ)~経』と「仏説」の語がつきます。お釈迦様がこの世を去られた後に多くの弟子が集まり、お互いが聞いた教えを確認し、後に文字として遺されたのです。そこで、お経の最初には「我聞如(がもんにょ)是(ぜ)」や「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉があるのです。つまり、お釈迦様の教えを聞いて救われた方々が遺されたのがお経なのです。
【対機説法・応病与薬】
さて、お釈迦様は教えを説かれる際、相手の性質や能力によって説き方を変えられました。それを「対機(たいき)説法(せっぽう)」といい、病気と薬に譬えて「応病(おうびょう)与(よ)薬(やく)」(病気に応じて薬を与える)といいます。ですから八万四千もの教えが説かれたと伝えられ、沢山のお経が存在するのです。
【本願のお薬】
しかし、親鸞聖人はご自身をどのお経に説かれているお救い(薬)であっても治すことが難しい最重病人であるとされ、その最重病人の為にお釈迦様が特別なご用意で説かれた教えこそ、阿弥陀様のご本願のお救いであったと慶ばれたのでした。
なぜなら、本願とは阿弥陀様ご本意(ほんい)の願いという意味で、「全ての命を浄土に生まれさせ、仏にすることができなければ、我も仏とはならない」と誓われていたからです。親鸞聖人は「全て」という言わば漠然とした言葉の中に、私一人が決して救いから漏れないことを涙して聞いていかれたのでした。
そして、お経によれば、全ての命が本当に仏様と成っていける阿弥陀様のご本願のお救いこそ、お釈迦様のみならず、あらゆる仏様の本懐(ほんかい)(もとから抱いていた願い)であったことが示されているのです。
【阿弥陀さまの本願を説くために】
そこで、親鸞聖人は、『正信偈』に「如来、世に興出(こうしゅつ)したもうゆゑは、ただ弥陀の本願(ほんがん)海(かい)を説かんとなり。五濁(ごじょく)悪(あく)時(じ)の群生(ぐんじょう)海(かい)、如来如実(にょじつ)のみことを信ずべし」
(あらゆる仏様方が世に出られた本懐は、ただ一つ、海の様に全てを抱く阿弥陀様のご本願のお救いを説く為でありました。ですから、五つの濁った時代と命の迷海に沈む者達よ、どうか仏様方の本懐であるまことのお救いを聞き受けてください)と述べられたのでした。
【阿弥陀さまが選び取られたお経(お救い)】
実は、その本願によって貫かれた私たちのお経が「浄土(じょうど)三部(さんぶ)経(きょう)」といわれる『仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)』、『仏説(ぶっせつ)観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』、『仏説(ぶっせつ)阿弥陀(あみだ)経(きょう)』なのです。
親鸞聖人は「三経の真実は、選択(せんじゃく)本願(ほんがん)を宗(しゅう)とするなり」とお示しになられます。
「選択」とは、阿弥陀様がどのお救いにも間に合わなかった私たちの命を永い時をかけて思われた結果、本願のお救い一つを選び取り、他の救いは選び捨てられたことを表わすお経の言葉です。つまり、浄土三部経を貫く本願以外のお救いは阿弥陀様が私たちの為に選び捨てられたのであって、ここに私たちが他のお経を頂かない理由があるのです。
【私が頂くお経】
そうすると、私たちがお経を拝読するのは他の誰の為でもなく、浄土三部経に示された「全ての者が仏と成る教え」である本願を、私の為のお救いでしたと聞き受けることなのです。そこにこそ仏様に成られた私たちのご先祖の思いにかなう読経(どっきょう)の姿があるのです。
<第20期大海組連続研修会「お経」 まとめの法話『連研だより』2019年2月掲載>