浄土真宗は「本願力回向」の宗教です。
回向といっても私の功徳をもって仏様に向かうのではなく、
阿弥陀様が、「あなたを仏様とすることができなければ、我も仏とは成らない」という本願を成就し、全ての功徳をもって初めから抱き取って捨てないとご一緒下さるお救いです。
つまり、私が阿弥陀様に合わせるのではなく、阿弥陀様が私に合わせて下さるお救いです。
なぜなら、阿弥陀様が法蔵菩薩の時に私の命のあり様を隈なくご覧になると、仏に成る可能性は0%であったからでした。
数字の「0」はレイとも読めますが、レイは「零細企業」などと言うように僅かながら存在を許す言葉です。
もし可能性が僅かでもあるならば、長い間努力すればやがて仏様になれるのかもしれません。
ところが、ゼロには万や億をかけても答えはずっとゼロのままです。つまり、私が仏様に成る可能性は今も昔もこれからも絶対に不可能と見られたのでした。
そんな絶望に沈む者に功徳を求め、頑張れと変化を促すことは、いたずらに苦しめるだけで決して救いとはなりません。
そこで、法蔵菩薩はその私をいかに救おうかと永きにわたって思いを巡らせ、ついに一つの結論を出されます。
それが本願力回向のお救いです。
仏に成る可能性が0%ならば、こちらが100%必ず救える仏と変わろう。
そしてこちらからずっと一緒にいて、抱き取って決して捨てない仏と成ろうとお誓い下さったのです。
それを親鸞聖人は、
「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情を捨てずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」
とお示しくださったのでした。
さて、『最後の小学校』(講談社)という本の著者で、秋山さんという方がおられます。
秋山さんは中学生の時に不登校になりました。
無理に学校へ行かせようとするご両親と毎晩のように言い合いになり、殴られることもありました。
そして、家から笑顔が消え、家族が崩壊する責任を一身に感じ、自殺を考えたこともありました。
それが失敗に終わった時、生きることもうまくできない、死ぬこともできない、そんな何も出来ない自分のことが大嫌いだったと言われます。
家出を決意した時でした。
父親が玄関で仁王立ちになり、「そのお金も自転車も靴も、着ている服も全部置いて行け、それはみんな俺が買ってやったものだ」と言われます。
すると、秋山さんは持っていた物を全て置き、服も全部脱ぎ捨てて、
「お父さんからもらったものは全部置いていく。この命もお父さんからもらったものだ!殺してくれ!」と叫ばれました。
また殴られると思って目を閉じたその時でした。
父親は裸の秋山さんに歩み寄り、体を抱きしめて震えながら泣かれたのでした。
それは、初めて見る厳格な父親の涙と、大きくて暖かな両腕であったそうです。
そして、両親の言葉に救われたと言われます。
それは「どんなあんたでも、うちらの子どもだからね」という力強い言葉でした。
その時、父親の目に映った我が子の姿とは、体こそ大きいけれど十数年前にやっぱり裸一つで泣きながら生まれてきた命ではなかったでしょうか。
それは、何一つ持たず、何一つできないままで何ものにも代えがたいと両腕に抱いた命であったはずです。
確かに、お金も、自転車も、靴も、服も我が子の為に用意した物です。
「学校に行け」と変わることを厳しく求めたのも我が子の為に違いありません。
しかし、どれも「殺してくれ」ともう生きていけないほどに絶望する我が子には何一つとして間に合わず、用を成さないものでした。
それを見抜いた親は、ただ我が子のありのままを抱きしめて、かかえた苦悩の重たさに震えながら涙し、
「どんなあんたでも、うちらの子どもだからね」と絶対に見捨てないことを告げられたのでした。
今、阿弥陀様が私たちの為に成されたお救いは、変えようのない絶望と苦悩に涙する私に、
「変われ」と告げることではありませんでした。
過去を責めず、将来に条件をつけず、今の私のありのままありだけを「ひとり子よ」と涙して抱いてくださいます。
絶望という孤独の真只中に、初めから「抱き取って決して捨てない」「まかせよ、必ず救う」とご一緒下さる本願力回向のお救いが、
浄土真宗でありました。
<本願寺出版社『季刊せいてん』№123/夏の号「法話随想」掲載>