浄土真宗本願寺派 一乗山 妙蓮寺

浄土真宗のみ教え

「あたりまえの不思議」 親鸞聖人のご誕生にさいして

【親鸞さまのご誕生】

5月21日は、親鸞聖人の降誕会です。私たちはこの日を「ご誕生下さり有難うございます」とお迎え致します。なぜなら、そのご生涯を通して、遇い難き阿弥陀様のお心を私たちに教えて下された宗祖であるからです。
親鸞聖人は、幼少から晩年に至るまで、大災害や大飢饉に見舞われ、大切な方との別れも多く、決して手放しで慶べるご生涯ではありませんでした。親鸞聖人は、そんな抗えない現実の苦悩の真只中にお念仏を申し、阿弥陀様の「南無阿弥陀仏」(我にまかせよ、必ず救う)の喚び声を聞いてゆく人生を私たちに見せて下さったのです。

【当たり前の不思議】

その阿弥陀様との出遇いは、凡夫の身でありながら必ず浄土に生まれ仏に成るという、決して当たり前のことではない、驚くべきことでありました。親鸞聖人は阿弥陀様のお救いに出遇えたことを「遠く宿縁を慶べ」と、遠い昔から気づくよりも願うよりも先に届いていた広大なお育てであったと慶ばれます。

ですから、親鸞聖人は阿弥陀様との出遇いにご自身の努力を全く見られません。また、人生における悲しみやご苦労もほとんど語られません。
それは、思い通りにならない人生であっても、そこに阿弥陀様がご一緒下さるという事実に満たされておられたからでしょう。

また、それはご自身のはからいを超えた出遇いであるから「不思議」という言葉で随所に慶ばれています。不思議とは不可思議のことで、本来は仏様に対して思いはかることができないという仏教語です。運命や単なる偶然に使う言葉ではありません。

【たねとしかけ】

例えば、テレビなどで手品を見た時、繰り広げられる様々な現象に思わず「不思議だな~」と声をあげますが、その不思議な現象も手品師からすれば思惑通りに事が進んだ必然の結果なのです。なぜなら、手品にはタネと仕掛けがあるからです。ところが、素人の私にはそのタネと仕掛けに対して思いはかることが出来ないので「思議が不可能」で「不思議」と言うのです。仏教は奇跡でも呪術でもなく、縁起の法といわれます。すべての事象は必ず因と縁の結果として起こっているという真理です。阿弥陀様が私にして下さった念仏往生のお救いのタネ(因)と仕掛け(縁)は、はるか遠い過去より現在、そして当来に至るまでの広大なおはからいであり、私の思いや考えが及ぶところではなかったことに頭が下がって「不思議」と言うのです。

【城島健司選手】

以前、プロ野球選手だった城島健司さんの引退会見をテレビで見ていて驚いたことがありました。城島選手は、プロ野球選手として、キャッチャーというポジションで日本一にも世界一にも輝いた方で、記者の質問に、キャッチャーが誇りであり、宝物だと言われます。
ところがそんな城島選手が「野球を始めた時、キャッチャーが嫌いで辞めたいと思っていた。でも今はキャッチャーがしたくて野球を辞めるから不思議です」と涙ながらに言われたのです。

この時なぜ城島選手は「不思議」という言葉を使われたのでしょうか。もし、単に自分が人一倍努力や苦労をしたから嫌いなものが誇りとなり、宝物となったというなら「不思議」とは言われなかったと思います。きっと「当たり前」だと言われるでしょう。
しかし、「当たり前」には慶びも御礼も涙も出ません。城島選手は言葉を続けて「野球に出会わせてくれた両親のおかげでキャッチャーに出会えた」と話されました。そしてプロに導いてくれた王監督や、支え続けてくれたスタッフや多くのファンを想って「素晴らしい、いろんな人に会えた縁に感謝しています」と大粒の涙をこぼし「しあわせでした」「有難うございました」と会見を終えられたのでした。それは、自分の努力ではなく、今の慶びの背後に広がる思いはかることができないほどのご縁を慶ばれたからに違いありません。

【お育て】

今、阿弥陀様はお念仏が嫌いどころか、無関心であった私をはじめから目当てとされ、遠い過去から確かなタネと仕掛けをもって「必ず救う、我にまかせよ」と立ち続け、追いかけ続け、待ち続け、喚び続けてお育て下さいました。
そのことを親鸞聖人がこの世に出られ90年の身にかけて教えて下さったのです。

そして、このおいわれを数多の先輩方が聞いて慶び、お寺を建て、法座を開き続け、お仏壇を設け、ご法事を勤め続けてまで、お念仏を慶べる身にまでお育て下さったのでした。当たり前ではありませんでした。全ては不思議であり、驚くべきことだったのです。

【仕合せ】

阿弥陀様に、親鸞聖人に出遇えて仕合せですね。たとえ思い通りにならない苦難の人生であっても、ここは阿弥陀様のタネと仕掛けの大舞台です。称えるはずがなかったこの私からお念仏が一声一声顕れ出るのも、凡夫の命が浄土に生まれ仏様と成るのも、阿弥陀様の広大無限で不可思議なるおはからいの結果なのです。

近く親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要を迎えます。お念仏を称えつつ、「ご誕生下さり有難うございます」とお迎え致します。

 

 

<本願寺出版社『大乗』「Daizyo法話」 2021(令和3)年5月号掲載>

浄土真宗本願寺派(西本願寺)-親鸞聖人を宗祖とする本願寺派