【最も大切な法要】
報恩講は、御開山親鸞聖人のご法事です。浄土真宗のお寺、ご門徒にとって一年を通して最も大切な法要として営まれ続けてきました。それは、もし親鸞聖人がこの世にお生まれでなく、もし90年のご苦労がなかったなら、今ここに浄土真宗の御法義もお寺もお仏壇も在り得なかったからです。そして、阿弥陀様がご一緒だと在家生活に生きることも、先立つ者も見送る者も共に仏様として生まれ往く命と頷いていくこともかないませんでした。
【在家仏教】
当時の日本における仏教とは、在家生活、つまり家族を持って生活をし、農業や漁業や商売などで暮らす者、そして女性に冷たいものでした。親鸞聖人は、その中にあってお念仏申し、仏様として生まれ往く仏道を地域社会、在家生活に体現されたのでした。
地域社会で生きるということ、家族を持って生きるということは、出会いと別れを必ず繰り返す場所に身を置くということです。愛別離苦というお釈迦様が示された人間の根本苦悩は、初めに出会いがなければ起こらなかった苦悩なのです。親鸞聖人の御法事を、「報恩講」と名づけられた覚如上人は、「愛別離苦、これもっとも切なり」と仰いました。その変えようのなかった苦しみ悲しみを初めから目当てとし、お願いをするよりも先に立ち上がり、涙ながらに「まかせよ、必ず救う」とかかりはてて下さるのが阿弥陀様と親鸞聖人は教えて下さいました。
【愛別離苦のただ中に】
今、私たちは愛別離苦(四苦八苦の一つ)の最たる現場に身を置いています。この地域社会で、この家族の中で生きています。だからこそ、私たちの先輩方はその真只中に、聞法の道場であるお寺を建てられたのでした。そして、家の真ん中には阿弥陀様のお仏壇まで安置して、どんな困難な時代もお念仏に支えられて生きてこられたのでした。
そうして、私たちの命は今ここにあります。この命は死んで終わり、さようならじゃありません。私たちの先輩方は、報恩講を大切に営み続けるなかに、阿弥陀様が男女老少をえらばず、出家在家をえらばず、この命の往く先はお浄土であり、仏様として生まれ往く命であるのだと伝え遺して下さったのです。
親鸞聖人より後の時代に生まれて良かったですね。そのご化導によって阿弥陀様の御法義に出遇えた私たちは仕合せ者です。どうかご縁のお寺に足を運び、お家のお仏壇にも最高のお飾りをしてお聴聞し、「御開山様、ようこそでした、有難うございました」と御礼を申し上げたいものです。
<第19期大海組連続研修会「報恩講」 まとめの法話『連研だより』2016年12月掲載>