【南無阿弥陀仏のお六字】
浄土真宗は「往生成仏」の宗教です。阿弥陀様は、大切な方との死別に涙する私に、同じお浄土に生まれて往く道を完成し、今「南無阿弥陀仏」のお念仏となってご一緒くださいます。
その「南無阿弥陀仏」はわずか六文字ですが、それは阿弥陀様の「まかせよ、必ず救う」のお喚び声であるとともに、お浄土に生まれさせ仏様にするすべての功徳で満ちていて、あらゆる命の上に届いています。
【同じ往き先】
そのお救いには、男女、年齢、個々の能力の違いはまったく問題になりませんし、時間や場所は問われません。いつ、どこで、誰が、どのように命を終えようとも、同じ功徳の「南無阿弥陀仏」を賜っているが故に、同じお浄土に、同じ仏様として生まれて往くことができるのです。それを親鸞聖人は、曇鸞大師のお言葉を承けて「同一に念仏して別の道なきがゆゑに」とお示しくださいました。
【タイミングが良かった】
さて、ご門徒のHさんは、今から七年ほど前、わずか一年半の間にご主人のM夫さんと娘さんをお浄土に見送られました。そんなある日、Hさんが目にいっぱい涙をためて「娘が先立ったタイミング、良かったと思うんです」と仰ったのです。そして、時折声を詰まらせながらお話くださいました。
実は、娘さんが自身が重い病気と分かった後、お正月に実家へ帰られた時のことでした。ご両親の前で「死にたくない」と泣かれたというのです。普段は二人の幼いお子さんの前で気丈にしておられたのでしょう。実家に帰りご両親の顔を見た時に、かかえきれない心情が溢れ出たのでした。
そんな状況の中、元気だったM夫さんが突然倒れられたのです。Hさんは、ご往生までのひと時の間でしたが、もう声が出ないM夫さんのベッドの横で、「正信偈」や『御文章』、それに「浄土真宗の救いのよろこび」(旧『拝読 浄土真宗のみ教え』2頁・・・現在新しく出版されたものには残念ながら掲載されていません)を読んで聞かせられました。それは、死んだら終わりじゃなく、阿弥陀様のお浄土に生まれ往くこと、また再び会えることを想ってのことでした。日頃から夫婦共に同じお仏壇の前で手を合わせ、同じお経、同じご法話、同じお念仏をいただかれてきたのです。
一方で娘さんは、「お父さんの死は自分のせいだ」「私が心配をかけたからだ」とまた泣かれるのです。Hさんは何度も「あなたのせいじゃないよ」と言って聞かせ、お逮夜参りや一周忌などのM夫さんのご法事に、一年を通して何度も一緒にお参りをされました。娘さんは、時には酸素ボンベを携帯し、看護師さんが付き添ってのお参りでした。そして、お父さんのご往生から一年半ほどで先立たれたのです。
しかし、その最後の言葉は「死にたくない」でも、父の死に対する自責の言葉でもありませんでした。残された力を振り絞るようにして、Hさんやご家族に伝えられたのは、「あ、り、が、と、う」という御礼の言葉であったのです。それは、たとえ儘ならず若くして終えてゆく命であっても、自分の人生に頷けた人の言葉でした。
Hさんはそんな一年半を振り返って、夫の往生が娘より先であり、それを縁として、娘が自分たちと同じお仏壇の前で手を合わせ、同じお経をいただき、同じお念仏を申し、同じ命の往く先、お浄土のあることを聞くことができたことを、「タイミングが良かった」と言われたのでした。それは娘さんの死に対して言われたのではなく、娘さんがお浄土に生まれて往く縁がととのったことについてのお話だったのです。
【悲しみと慶び】
もちろん、その時のHさんの目には涙がいっぱいでしたから、悲しいに違いはありません。しかし、「良かった」というのはよろこびの言葉であり、安心の言葉です。浄土真宗は死を遠ざけ、悲しみを無くすという教えではありません。決して避けられない死、そして逃れられない深い悲しみのなかで、阿弥陀様の救いの確かさによろこびが灯り、安心のなかで泣いていけるみ教えです。
Hさんは、家族みんなで手を合わせた阿弥陀様のお仏壇の上に、前御門主様の「同一念仏」と書かれた額をかけ、今も変わらず毎朝、毎夕お仏壇の前でお念仏の日暮らしです。その自ら称え、自ら聞く「南無阿弥陀仏」の一声に、同じ阿弥陀様という親に抱かれて、同じお浄土という故郷に帰ってゆくすべてが満ち満ちてあります。
浄土真宗は、出会いと別れを繰り返し、涙をいっぱいためてしか生きてゆけない私たち一人ひとりに届けられた往生成仏、そして唯一無二の仏道でありました。
<本願寺出版社『季刊せいてん』№125/冬の号「法話随想」掲載>