今月の言葉は、龍谷大学の先生をなされていた土橋秀高先生の歌を選びました。
土橋先生は、京都にある浄土真宗のお寺のご住職でもありました。
先生は、お寺のご門徒のことを思って早くに大学を退官され、お寺のご住職として法務に勤しんでおられましたが、坊守さまに先立たれ、本堂が火事になり、再建された矢先、東京の大学で先生をなされていた息子さんにも先立たれたのでした。
老体に鞭打つようにお寺を護られますが、息子さんの奥様や孫たちもお寺を去って往かれたそうです。
どれほど、寂しく悲しい想いでおられたでしょうか。
その頃詠まれたのが、この度の掲示板の歌でした。
「親おくり 妻さきに逝き 子の急ぐ」ここまでは悲しい身の事実を詠まれます。
しかし、次の句は「あかねのくもは美しきかな」と表されるのでした。
茜のくもとは夕焼け空のことです。
先生は、悲しき身の事実のなかにあって、お日様が沈んでゆく西の空を美しいと仰いでおられるのです。
美しいと心に感じられたことも、まぎれもない身の事実なのです。
それは、親も妻も子も死んで終わって消えてしまったのでなかったからではなかったでしょうか。
先生は、浄土真宗に生きる者として、阿弥陀さまに抱かれて、西方浄土(阿弥陀仏の浄土・お経には極楽とも無量光明土とも表現されています)に往生し、仏さまと成らせて頂き、また会える世界があることを聞いておられたのです。
まもなくお彼岸が近づいてまいりました。
太陽が真東からのぼり真西に沈むこの時期に、お彼岸法要(秋季彼岸会)を開催致します。
真っ赤に燃えて沈みゆく美しい西の空を眺め見て、阿弥陀さまのお浄土に生まれて往かれた懐かしい方々を偲び、私たちもいつの日か必ず命を終えて往く日が来るけれども、
死んでい終わる命でも、暗い世界に行くのでもなく、みんなが先に往って待っている光り溢れた阿弥陀さまのお浄土に生まれて往くこと、必ずまた会えることを一緒に聞かせて頂きたいものです。
「かならずかならず極楽へまゐりて、うつくしきほとけとは成るべきなり」(本願寺八世御門主・蓮如上人/御文章五帖七通より)
西の空が美しいのは、お日様が沈みゆくだけではないようです。