出身が京都の私(住職)は、海を見ると高揚します。
京都では滋賀県の琵琶湖が身近で、海と言えば100㎞ほど先の若狭湾までいかねばなりません。
お釈迦様は阿弥陀さまを「如来の智慧海は深広にして涯底なし」と『仏説無量寿経』に示され、
これを受けられた唐の善導大師も、「弥陀の智願海は深広にして涯底なし」と阿弥陀さまを海に譬えられています。
深くて、広くて、涯(きし・はて・かぎり)なく、底がない―
阿弥陀さまの本願は、十方の衆生を皆もらさず救う、お智慧とお慈悲からなる大いなる海であると。
親鸞聖人も、ご自身の迷いのあり様を「群生海」「生死の苦海」などと表現されると同時に、
阿弥陀様の本願やそのはたらきを「本願海」「一乗海」などとよく海に譬えられます。
きっと私たちのご先祖、先輩方も、海を見ては思い通りにならない悲しみに、
常にご一緒くださる阿弥陀さまを想ってお念仏されたことでしょう。
お盆の足音が近づいてきました。
夏ですね。