今月も無事に佐志生支坊の常例法座が開かれました。
担当は、法務員の摂受くん。
帰ってくると「今回、はじめてご讃題を用いた法話に挑戦できました」とのこと。
嬉しい言葉でした。
「ご讃題」とは、一席の法話を貫くお経や親鸞聖人の書かれたお書物などから一文を選んで、法話の冒頭に拝読するものです。
いわゆる法話は、お説教とも、古くは「ご讃嘆」(ごさんだん)とも言いました。
なぜなら、阿弥陀さまのお法に出遇い、その慶びより出されるお念仏(略讃)、そして広げれば読経(広讃)や法話(広讃)は、声を発する私は煩悩を抱えた凡夫でありながら、自ずと阿弥陀様のお徳を讃めることになり、それがそのまま人に伝わってゆく伝道(仏化助成)となるのが浄土真宗だからです。
つまり、法話とは自分の人生観や考えを述べることではないということでもありました。
難しいことですが、とても大切なことなのです。
人生の生き方は、同じことで悩み生きてこられた人生の先輩にそれぞれ聞くのが何よりです。
本屋さんに行けば、ハウツー本は山ほど並んでいます。
でも、仏法を語り、仏法を聴聞するということは、仏様が娑婆にもがき苦しむ私をして、迷いを離れさせ仏様に成らせようとくださる法を語り、聞くほかはないのです。
この度は、そのことを改めて住職、法務員さんが、ご参集くださいましたご門徒の皆さまによって、共々に教えられた、お育てのなかの尊い一日でありました。