かたつむり どこで死んでも わが家かな
小林一茶(伝)
この俳句は小林一茶の作と伝わります。
小林一茶は、生涯にわたってままならない人生を送りますが、阿弥陀さまのお法を慶び、それを時に俳句に詠みました。
「法談の手真似も見えて夏木立」
「ととさんやあのののさんがかかさんか」
「弥陀仏の見ておはす也ちる桜」
「年よりや月を見るにもナムアミダ」
コロナ禍にあって、ご門徒のなかには長い入院生活で家族と会えない、家に帰れないという方が多くおられます。
ある方は、「もう会えず終いなんやろか…」と涙を流されます。
また、災害や戦争などで、ふるさとや家に帰れないという方が世界中におられます。
一茶は、お聴聞のなかで、嬉しい時も悲しい時も、阿弥陀さまがずっとご一緒くださることを聞いていました。
それは、お浄土に生まれ往くのは命を終える時ですが、必ず生まれて往けるお浄土があることを、今聞いているのです。
いつ、どこで、どのような死の縁であっても、安心して命を終えてゆける世界がある。
どんな雨降りのような人生であっても、「必ずわが浄土に生まれさせて仏とする」と立ち上がり、すでに来てくださっている阿弥陀さまの御手に抱かれてあるという慶びと安心を一茶は知っているのです。
これを、かたつむりに喩えたのでしょう。
「涼しやな 弥陀成仏の このかたは」 小林一茶
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