「念仏に 季はなけれども 藤の花」
この歌は、法然聖人を讃じたとも伝わっています。
一方で正岡子規は、真宗大谷派の僧、清沢満之師と深い交流がありました。
そうすると、法然聖人より親鸞聖人へと受け継がれたお念仏の意(こころ)を子規は知っていたのかもしれません。
阿弥陀さまがいつでもどこでも誰のうえにでも至り届いて
「我にまかせよ、必ず救う」とご一緒くださる声が、我が称える念仏であると。
少し勝手な考えかもしれませんが、
お念仏は、季節を問いません。しかし藤の花は季節を問います。
とはいえ、時期が来たら花が咲くのは、
咲くだけの準備が整うから咲くのでしょう。
美しい花を咲かせるだけの用意がもう届いているから、その時節が来れば花が咲くのです。
いつでも、どこでも、誰の上にも南無阿弥陀仏は至り届いています。
そうすると、人によって遅い早いはあれども、
その時が来れば、お念仏することを知らなかった者がお念仏をする。
その時が来れば、凡夫の命が浄土に生まれて仏様と成る。
それは、名号「南無阿弥陀仏」に、私が浄土に生まれて仏と成る全てが用意周到、準備万端に整えられて、はるか過去世より、はたらき続け、届き続けてくださっているからなのです。
このようにお念仏のこころを教えてくださった親鸞聖人の生まれられたこの五月。
藤の花は美しく垂れて咲きます。
今、阿弥陀さまも私のうえに大悲を垂れてご一緒くださるのです。
試みにお念仏は、阿弥陀さまのはたらきは「四季を問わない」を
「子規を問わない」と見るのは甚だ行き過ぎた解釈とは思います。
しかし、どうしようもない病気に苦しみのなかに、我が身の罪を問わず、生き方を問わず、祈ることも念仏の数も問われない。
つまり、四季を問わず、子規(人=機)を問わない。
それが、阿弥陀さまのお心です。
どんな時でもお念仏に阿弥陀さまのお心を味わうこどができるのです。
一方で、季節が来ると美しく咲く藤の花に、いよいよお浄土に往生してゆく我が身を想われたのかもしれません。
花咲き鳥歌うお浄土にまもなく生まれて往く・・・
結核を患い、34歳で命終する子規は、一人病床でお念仏を称えつつ、
阿弥陀さまに抱かれて往く命を「念仏に季はなけれども 藤の花」歌われたのだと
身勝手ながら味わっています。
さて、浄土真宗本願寺派の紋章は「下がり藤」です。
これは、親鸞聖人の生家が藤原北家の流れをくむ日野家であるからと言われています。
今からちょうど850年前、困難な時代にお生まれになられた親鸞聖人。
ようこそこの私に、お念仏のお心を教えてくださいました。
そんな思いで過ごす、藤の花咲く五月です。