「月影のいたらぬ里はなけれども ながむるひとの心にぞすむ」(法然聖人)
昨晩は隣寺の光國寺御住職(稲田静真師)との勉強会でした。
数ヶ月前、教学についてある質問をしたことがきっかけで始まり、今回で4度目。
先生は貴重な書物や資料を沢山整理されてお持ちで、それをコピーし、交互に輪読しては学びを深めます。
さながら里中仏教会(※1)の夏安居(※2)です。
ちょうどご本山の安居も始まりました。
ここ10年、毎年多くの方に支えられ、許されて懸席しておりましたが、昨年はコロナで安居が中止。
今年はオンライン開催でしたが、諸事情で懸席がかないません。
寂しい夏になりそうでしたが、近くに師とよべる方がおられ、
いつでも安心して研鑽がかなうことは僧侶のしあわせです。
そして、今回から新たな仲間が一人加わり、おかげ様で僅かながらも安居の匂いを感じることができました。
※1 里中仏教会
大分市里にある浄土真宗本願寺派の光国寺と妙蓮寺で形成する教学研鑽会。
と妙蓮寺住職が勝手に言って悦んでいます。
※2夏安居
梵語バルシャの意訳。もとは雨期の意で、インドにおいて雨期の3ヶ月間、外出により生物を踏み殺すことを避け、一つの場所を定めて修行に集中したことが始まりとされる。
日本の仏教各宗派でも継承され、本願寺では寛永17(1640)年に始まり、宗門最高の講会であり、講義や問答によって真宗学、仏教学研鑽の成果を結集するものとされている。 参照『『岩波仏教辞典』 『浄土真宗辞典』(本願寺出版社)