久しぶりに降る雨のなか、彼岸の入りを迎えました。
お出にくいなか、皆さまようこそお参りをなされました。
今日の法話は、住職が担当しました。
阿弥陀経の一節を頂き、様々に表現される阿弥陀様のお浄土の様子をお話しました。
お経には、お日さまの沈みゆく西方に阿弥陀様のお浄土があること、花咲鳥歌う美しいところ、そして懐かしい方々とまた会える世界であることなどが示されています。
そのお心は、死に対して、お終い、無に帰するだけ、暗い所に赴く感覚、もう二度と会えない・・・などと生きている私たちに、そうではなく、生まれて往くのだ、仏となるのだ、明るい光の世界に赴くのだ、また必ず会える世界なのだ・・・と知らせたい、受け取らせたいとの願いのありだけなのです。
親鸞聖人は、本願文(ほんがんもん)に示された「欲生我国」というお言葉を「安楽浄土に生まれんとおもへとなり」とお示しくださいました。
浄土真宗のお経(浄土三部経・・・仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経)はこの本願のお心、つまり、私たちを必ず浄土(彼岸)に生まれさせ仏とすることで貫かれているのです。
明日からも、どうぞこぞってお参りください。
阿弥陀様、または諸々の仏様、そして先にお浄土に生まれ仏様と成られたご先祖様の願いは
「どうかお浄土に生まれる命と思って今を生きてくれよ」に尽きるのです。
このお心を聞くのが浄土真宗の「聴聞」なのです。