4月8日は、お釈迦様がこの世にご誕生くださった日です。
明るい光が差し込み、穏やかな時間が流れます。
今日は、皆さん多くの方がお参りなされて、とても有難い一日でした。
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お釈迦様の降誕会(ごうたんえ)は、古くは灌仏会(かんぶつえ)といい、日本では桜が咲く季節に当たるため(諸説あり)、明治の頃から花まつりとも言われてきました。
灌は「そそぐ」という意味で、お釈迦様がご誕生になられた際、天から甘露の雨が降りそそいだと伝えられることに由来します。
元仏教婦人会会長さんはお孫さんを、婦人会役員さんのおひとりはお子さんを連れてきてくださいました。
次女も学校から帰ってきてお参りしてくれました。
年配の方はもちろん、幼い子ども達が手を合わせ、甘茶をお釈迦様にそそいでくださる姿は、尊いものですね。
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし (親鸞聖人/『浄土和讃』)
お寺に来て、合掌し、お経を拝読し、お念仏申す・・・
その一々の背後には、あの懐かしい先立たれた方々が仏様と成って還ってこられて、私たちをお導きくださっているのです。
阿弥陀様を告げて下さった、お釈迦様のように。
老若男女のご門徒が世代を超えて一堂に集まり、お釈迦様が説かれた阿弥陀さまのお救いを聞くことができましたことは、住職として、坊守として、仏教徒として何よりの慶びです。
お釈迦様が阿弥陀様のお話をたくさん説いてくださったことが、私たちのお経となりました。
お経によって私たちは阿弥陀様を知らされます。
「あなたのところに、阿弥陀さまがもうご一緒ですよ」と。
お経を拝読するということは、時空を超えてお釈迦様に出遇っているのです。
そして、お経に表された阿弥陀様のお救いのいわれを聞いて阿弥陀様に遇うのです。
そのありだけが、お念仏の一声に約まっていたのです。
そうすると、お念仏を称えたり、聞いたりしているところに、阿弥陀様にも、お釈迦様にも出遇っているのです。
また、先にお浄土に生まれられた、あの懐かしい方々にも出遇っているのです。
もうどこかに先立つ人を探すことはなかったのですね。
お互いさま、皆んなに出遇えて良かったですね。
<関連法話>